寝袋持参で遠くから駆けつけた、若い仲間たちと排気ガスのもうもう立ち込める中で食材のトラックへの積み込み作業を手伝い、共通の目的で汗を流すことができました。 一方、役所の中では、被害届の受付が始まり長い列ができています。行政相談委員として何かお手伝いすることができればと思いました。豊中市でも、特別相談日を設けました。被災された方の緊急の措置として、建て替え予定の公営住宅の空屋に入居したが汚いとの話があり、せめて人間らしく生活できるような配慮を申し出る。 その後、電気は復旧したが、ガスが使用できない所に焚き出しに出向く。「あったかいものをありがとう。何日ぶりかな、もう少しよろしいですか」とそっと持参のなべを差し出されるお年寄りの方。おいしいと何回もお替わりをする子供達に「沢山食べてね」と昨日からの準備、早朝より交通渋滞でぐったりしている顔も緩む。 本格的な冬を迎える年末に、名物の六甲おろしの吹く、みぞれ混じりの中を東灘区の仮設住宅を訪問しました。ここは早く建てられ、高齢者、障害を持つ方が多く入居されていました。風に耐えている軒下の植木鉢から、住んでいる方の震災前の暮らしぶりが伺えます。 訪問のきっかけは、「布団の端に霜柱ができて、寒くて眠れない」とのことでした。聞いて、見て分かったことは、畳と床のサイズが合わなくて隙間風が入り、新聞紙を詰めるが結果は変わらず。 冬布団を贈り、冷たい冬を元気で過ごせるように励ました。「今夜から暖かく眠むることができる。ありがとう。」と言われ、頑張って下さいという言葉を呑み込み「お元気で」と何度も手を握ったあの感触が、未だに忘れることができません。お元気でお過ごしになっておられるか、一度お伺いしたいと思っている。 この仮設住宅は、早期の建設だったので優先入居で高齢者、障害を持つ方が入居されていて、そのお世話をしている方も高齢者である。 コミュニティとは、高齢者、障害者、こども、若者、働き盛り中年。あらゆる年代の人々が共に、輪の中にいてこそ一つのコミュニティと言えるのではないだろえうか。 昨年は、「ボランティア元年」と言われてボランティアが必要とされていることがわかったが、必要な所に、必要な人材を、と思う。緊急な出来事でお互いにボランティア活動に慣れていないこともあり、人の活用が上手でない面が多々あったと参加してみてよく分かった。 それでも、人の役に立つことが出来ればと、行動する人々が多くいることを認認することができたことはよかった。私自身もいつでも、どこでも出掛けて行けるように普段から身体に気をつけていたいものと思っている。 6千人以上の命を奪い、街を廃墟にした「阪神・淡路大震災」被災された方々にとっては忘れることはできいないでしょう。私にとっても辛く、悲しいことですが、若い仲間、仮設住宅の人々との出会い、少しの怒りを交えたりの思い出が一杯ありました。 大好きな、神戸の街の一日でも早い復興を願って止みません。
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